アイスマンの記憶 5300年前の人類からのメッセージ
琉球大学の益崎先生の講演を聴いた時に伺った別の面白い話について、今回は書いてみますね。
ヨーロッパの氷河で見つかったアイスマン(エッツィー)のお話です。
アイスマンが見つかったのはオーストリアとイタリアの国境付近の氷河の中で、氷河に埋もれて非常に保存状態の良いミイラ状態で発見されています。
氷漬けのマンモス同様に、遺伝子がかなりきれいな形で残っているのはもちろんのこと、内臓や筋肉、血管の構造もそのまま保たれているのですね。
⇒ アイスマン Wikipedia
このアイスマンは中年男性で、装束などから考えて部族の中でも高い地位にあった人ではないかと考えられるようです。
⇒ アイスマン ナショナルジオグラフィック
そしてCT解析の結果、背中から刺さった矢の先端が左鎖骨下動脈を突き破ったのが死因と推定されたとか。
(海堂 尊(かいどう たける)さんのお得意な分野ですね)
おそらく、部族の長クラスだった人が政争に負けて逃げる途中に暗殺されたのではないか、などと推測されています。
さて、放射性同位元素などの解析から、アイスマンさんがなくなったのはおよそ5300年前と考えられています。
北西部ヨーロッパの5300年前と言えば、「新石器時代」の真っ只中です。
この時期には人々はせいぜい100人程度の小集落を作って狩猟採集生活を中心に、小規模ながら穀物を育てる農耕文明も始まりだしているようです。
このアイスマンの消化管内の遺物や、服についていた花粉やもみ殻などから、彼が何を食べていたかというのも推測されています。
鹿の肉、オオムギ、ヒトツブコムギ(小麦の野生原種)などを食べていたものと推測されています。
消化管の内容物から雲母の欠片が出てきたことから、花崗岩で作った石臼でムギ類を引いていたのではないかとも推測されています。
基本は野生動物を捕獲して、粗く加工した穀物も少し食べていた、という新石器時代の食生活。
穀物の精製度合いも低く、部族の長クラスにしてこのような食事ですから、糖質の摂取量は現代人に比べればかなり少なったでしょうし、血糖値の上昇もごく緩やかだったでしょう。
高たんぱく、高脂肪、中~低糖質という感じでしょうか?
さて、益崎先生の話に戻ります。
益崎先生がおっしゃった中で印象的だったのは、このアイスマンの遺伝子配列を調べると現代人とほとんどまったく変わってないということでした。
30年で一世代が交代すると計算したら170~180世代前のご先祖様ということになります。
ヨーロッパの現代人の遺伝子配列から推測すると、アイスマンの「直系の子孫であると推測できる現代人がアイスマンが発見された付近の現代ヨーロッパ人の中に存在する」そうです。
詳しいことはこちらの「関西医科大学法医学講座/関西医科大学大学院法医学生命倫理学研究室」のホームページをご覧ください。
⇒ アイスマンのDNA解析
とても詳しく書いてあってわくわくします(←一般的感覚ではないかも^^;)
5300年前の人類と現代人では遺伝子配列はそれほど変わっていない、つまり我々の体の持つ本質的な能力や性質は5000年程度では変わらないということ、そこが特に面白いと思ったことだし、益崎先生もそれを強調されていました。
一般的には、人類全体の性質が大きく変わるような遺伝子変化は10万年ぐらい必要だということです。
(3000世代を超えるような減数分裂によってゲノム上に起こる変異が人類集団の中に蓄積され、ようやく淘汰選別されていくということですね。)
そこで彼が強調したことは、5300年前のアイスマンと遺伝子は変わっていないのに、アイスマンと我々の我々の食生活は大きく変わっているということです。
その現代の食生活が糖尿病などの生活習慣病を生み出しているのだと。
たくさんの脂質たっぷりの肉を食べ、さらに清涼飲料水などの甘い糖質をたくさん摂るようになって動脈硬化疾患が劇的に増えている、だから我々はもっと伝統的な食事に戻るべきであるとのことでした。
うむうむ、納得であります、そこまでは。
ただ、具体的に益崎先生から提言されたのは玄米を中心とした伝統的な和食が我々が回帰すべきそれであるということでした。
精製されていない糖質を中心とした食事で、脂質やたんぱく質の摂取量は減らすべきであると。
糖質制限は心血管系に悪影響を与えることが言われているからするべきではないと。
・・・5000年前の人類はほんとうに、「マクロビオティックな玄米食」を食べていたでしょうか?
新石器時代のイタリア北部に住んでいた、地位の高い人物であったと思われるアイスマンでさえも穀物を摂取している量はあまり多くない上に、今で言えば雑穀のようなものしか食べていなかったようです。
(シカ類の肉が中心で、実の小さな小麦原種やオオムギを粗精製したものが、食べられている穀物でした。)
さらに、日本では食生活はどうなのかと思って調べてみましたが、日本人に至っては、確実に農耕が始まったのは今から2300年ほど前の縄文時代後期のことだと考えられています。
現代につながるようなジャポニカ種の米がたくさん作られるようになったのは弥生時代になってですから、1800年ほど前のことですね。
(これには異論もあって、4500年前の遺跡からもイネ科の植物の葉っぱの痕跡が発見されたので稲作は4500年前には日本の一部で始まっていた可能性があるとする学説もあるそうです。)
いずれにせよ日本の場合、アイスマンの生きていた5300年前の新石器時代にはほとんどの集落は狩猟採集生活を営んでいたと考えられます。
鳥や動物の肉、魚や貝、野草や木の新芽、昆虫などが主な食糧です。
秋に、冬を迎える熊が太る時期にだけ、ドングリや栗、柿、ぶどうなどのナッツや果実の恩恵にあずかることが多かったようです。
(ドングリはある程度備蓄できますが)
・・・これって、基本的には糖質制限食そのものですよね。
アイスマンの例から考えて、「その時に我々の祖先が持っていた遺伝子配列と、我々の遺伝子配列はほとんど変わらない」わけです。
ということは、糖質制限食こそまさしく、我々の先祖が何万年も続けていた伝統的な食生活であり、我々の遺伝子に適合しているものだと考えられます。
一方で、日本人の伝統食だと言われている米を主食とする高糖質食ですが、上にも書きましたが、確実に稲作が陸稲、場所によっては水稲として普及しだしたと考えられているのは1800年前ぐらいからです。
この時代のイネの生産量は一人当たり一号程度が限界で、どんぐりなどは欠かせない食料だったようです。
そして農耕革命として、3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間の古墳時代に、効率的な水田でたくさんのイネを作る技術が大陸から伝わり、普及します。
水田ではイネだけでなく、ついでに育つ雑穀などの穀物もたくさん採集できて、糖質が一般庶民の口にも頻繁に入るようになったのがこの時代からですね。
と言っても魚や動物の狩猟も活発に行われていたことも明らかで、このころの食生活はまさしくマクロビオティックなものだったのでしょう。
数万年~数千年前の人類が実践していた狩猟採集生活(低糖質食)と、1800~1400年前ほどに始まった農耕生活(高糖質マクロビオティック食)。
どちらが本来の我々の身体の本来持っていた能力に適合した食事なのかは、自明だと思います。
前者の糖質制限食ですよね。(もちろん、高糖質食の中では玄米中心のマクロビオティック食はお勧めなのですけど。)
・・・と、こういう書き方をすると、
「じゃあ、古墳時代以降、1400年以上続いてきた高糖質食の時代には糖尿病なんてほとんどなかったのに現代人にだけそれが出るのはなぜだというんだ?食の欧米化による高カロリー、高脂肪、高たんぱくが原因でないというのか?」
という、糖質制限に反対する人たちの叫びが聞こえてきそうですが、それへの合理的な反論は、ありますよ。
でも、それはまた別の記事で書きますね、この記事はすでに十分に長すぎるから(原稿用紙8枚分ぐらいあるし(^_^;))。
アップしたらこの記事からもリンクをつないでおきます。
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