糖質摂取しないと糖質代謝能が落ちるという理屈 理論編
「糖質制限なんて危険極まりない、毎日白いご飯を丼3杯は食べないとダメです、ご飯の食べ方が少ないから糖尿病になるのです。」
と、力説される方々がいらっしゃいます。
「総摂取カロリーの70%は糖質から取るべきだ、そうでないと糖代謝能が下がるから糖尿病が悪化する。」
と、おっしゃられます。
「糖質制限は危険だ、糖質55~60%摂取、そして厳密なカロリー制限を患者に徹底指導すべきだ。」
と、おっしゃる糖尿病専門医の先生方もいらっしゃいます。
「カーボカウント」の概念を積極的に日本に導入されたことで有名な教室の先生の口からもその言葉が出た時には驚きましたが、確信に満ちたお言葉でした。
糖質制限している人たちはそれを「糖質崇拝論」、あるいは、「「日本人なら米だろ!」神話」などと揶揄しますが、信望者は耳を貸しません。
「糖尿病患者には毎食、丼一杯のご飯を食べさせなきゃだめだ、日本人糖尿病患者にはそれがベストチョイスなのだ。」とおっしゃる先生方の態度は揺るぎないんですよね。
確信をもった顔で力説されます。
・・・なんでそんな理屈に合わない話を力説するのかなあ?
そう思っていましたが、なんだかその答えとなる根拠が見えてきた気がしました。
始まりはずいぶん昔にあったんです。
門脇先生のずっと先輩に当たられる東大内科系の先生方の1920年代から40年代にかけての研究発表と臨床報告。
その辺に日本における「糖質摂取を基軸とした糖尿食事療法」の原点があるようです。
精神科医師Aさんからご紹介いただいた文献で、そのことを記したものがあります。
そして、それをよく読んでみると、実はその方法、「糖質中心の食事指導によって糖尿病を治した」のではなくて、「糖質制限、またはインスリンの初期導入で膵臓の機能を休めて、それにより糖尿病の症状を改善した」治療方法であったことが見て取れます。
それなのに、「糖質を必要十分料食べさせたのが功を奏した」と、勘違いされたわけです。
・・・どうしてそうなったのか、図解入りで説明します。
長くて申し訳ありませんが、お付き合いの程をよろしくお願いします。
さて、参考文献はこちらです。
影浦式食事療法 楠木繁男 著
Diabetes Journal Vol.2. No.1. 1974
序文をそのまま転載してみます。
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糖尿病(以下PMと略する)の食事療法は, 古来幾多の変遷をへて今日に到った。
最初は糖尿をなくするために糖質を制限し,蛋白脂肪食をとらせた(Dobson 1779)。その後DMの病態生理が次第に明らかにされ,重症者では蛋白質,脂肪が不利に作用する場合があることが判った。
ついで飢餓療法,乳療法(最初はロバの乳を用いた),米療法, 燕麦療法, 殻物療法等が相ついで登場し,漸次糖質豊富な食事療法の傾向とはなったが,それでもなお依然として蛋白脂胞食が主流で,尿糖をなくするという方針に変わりはなかった。
先生の有名なお仕事は,実にこの混迷の時代に行なわれたのである。
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さて、この文章からもわかるように、以前にこちらでも紹介したように、1920年より以前の糖尿病食は徹底的な糖質制限食でした。
それは経験からたどり着かれた結論であり、合理的な食事であったのです。
にもかかわらず、「飢餓療法,乳療法(最初はロバの乳を用いた),米療法, 燕麦療法, 殻物療法等」が登場する「混迷の時代」に糖尿病の食事療法は陥っていたのです。
・・・これはなぜか?
理由はここに書いてありますね。
「重症者では蛋白質,脂肪が不利に作用する場合があることが判った。」
おそらく、糖尿病の合併症の進行した方の腎不全の悪化です。
糖質制限食では、どうしてもタンパク質負荷が高くなります。
以前にも書きましたし、江部先生も書かれていますが、「糖尿病性腎症が進んでしまった患者さん」では、仁機能が低下しているので、多量のたんぱく負荷をこなしきれないのです。
このために、糖質制限すると腎機能低下がどんどん進んでしまう可能性があります。
(糖尿病性腎症4期以降の方、あるいは3b期の中でもかなり腎機能低下が進行してしまった方たちですね。)
そのような症例を見て、「タンパク質脂肪食に代わる食事療法を」ということで上述のような方法が提唱されたのです。
いずれも、それほど明確な根拠があったとは思えないのですが、それぞれの発表者は自信を持って提唱したようです。
極端なものでは「飢餓療法」ですね、徹底的にカロリー制限して、基礎代謝量を切る程度しか食べさせない、そしたら生命維持が精一杯ですから、尿糖がでなくなるから治ったんだとするわけです。
いくらなんでも酷い仕打ちですよね、現代のカロリー制限食はまさかそんなことは患者に強制してないと思いますけど。
そんな時代に、東大の先生が「糖質を食べて治す糖尿病の食事療法」を発表されます。
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大正9年(1920), 既に当時東大稲田内科に在局中の先生は,この蛋白脂肪食の功罪につきその究明に着手され,次の成績をえられた。
すなわち「非DM者に蛋白脂肪食を与えると,その糖質代謝機能は著しく低下するが,これに糖質を追加摂取させると,この代謝障害が回復する。即ち蛋白脂肪食は糖質代謝を障害し,糖質はこの不利作用を中和する。しかしてこの両者の相反する作用の間には,一定の率が存在する」
という,まさに画期的な研究業績を発表され, 今日のDM食事療法の学問的基礎を確立されたのである。DMの食事療法について,先生のお名前が不滅なのは,実にこのお仕事によるのである。
この論文は Kageura Ueber den Einluss der Eiweiss_fett diet auf den Kohlenhydrat‐ stOIwechsel,I.Mitteil,J.Biochem.VOl.1,S.333,1922.(大正11年, インシェリンが臨床に応用された年)として発表された。
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インスリン発見の翌年、臨床実用化の年にこの理論が発表されています)。
「インスリンを使うことを念頭に食事療法を組み立てたのでは?」とも思える発表ですが、具体的にはどんなものなのか?
原著は読んでない(ドイツ語苦手)のですが、この理論について具体的な説明とそれ従った実践報告が載っていたので、見てみましょう。
方法のスキームはこんなのです。
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まず患者を入院させ,それまで家庭でとってきた食事を数日から1週間続ける。その間,身長,体重,血糖値はもとより,毎日24時間の尿糖を測定し,これをその日摂取した全糖質量より引いて収支差として記録する
この観察期間が終わると,糖質零の蛋白脂肪食(私どもはこれを厳重食といった)を与えた。私の入局時は昭和24年末で,食糧難の時代であったためか,糖質零の食事は実施困難で, 厳重食といっても糖質は1日30g前後位はあったように記憶する。
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ここを読んでみて、おや?と、思いますよね。
まず最初に行ったのは糖質制限食です、目一杯頑張って、一日30gの糖質制限食ですが、これなら「スーパー糖質制限食」の中でもかなり頑張ってる食事です。
これをどのぐらい続けるのかな?そう思って読んでみると、
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この厳重食で1日の尿糖が零になればその翌日から, 5日位続けても零とならない場合はそれ以上は継続せず,その翌日から毎食米飯10g(たきあがり)を漸増的に与えた。
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なるほど、5日ほど、あるいはそれより短くても尿糖がゼロになるまで続けたわけです。
尿糖が出なくなるまで「食後高血糖に対するすい臓からのインスリン分泌をさせないようにした、すい臓を休ませていた。」というわけです。
そして、そのあとでどうしたでしょうか?
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即ち厳重食の翌日の朝は10g, 昼20g,夕30g, その次の日は朝40g,昼50g,夕60gという順序に,米飯でのみ糖質量をますので,1日に糖質量として30gずつ増えていくことになる。副食物は厳重食の時と変わりはない。
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なんだか前半と後半で書いてあることと計算が合わないようにも思いますが(^_^;)、グラフは直線なので、後半の「1日に糖質量として30gずつ増えていく」だと考えます。
(たぶん、「次の日は朝20g,昼30g,夕40g」と書くべきところをお間違いなのでしょう。)
そうすると、糖質負荷をかけた初日は30+30=60g、2日目は90g、3日目は120g、4日目は150gの糖質不可ですから、開始後4日目ぐらいまでは一日120g以下のスーパー糖質制限をさらに続けていたことになりますね。
そのあとも、スタンダード糖質制限、プチ糖質制限状態へと、徐々に普通食(糖質摂取食)の方向に向かいます。
この「糖質摂取量漸増期間」も前半は十分に糖質制限できていますから、すい臓のランゲルハンス島は十分な休養を取れるわけです。
そのことを念頭において、さらに文献を読んでみましょう。
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このように糖質を漸増していくと,比較的軽症で,ある程度の耐容力がある場合は,摂取糖質が耐容力をこせばもちろん尿糖は陽性となり,血糖値も上昇するが,その尿糖量は追加した糖質量より少ないから,収支差は日を追うて増加していく(図1破線)。
一般に日々追加する糖質量に比し,尿糖量は日々少しづつ増加するから,収支差の増加は日々少しづつ減少し,その増加は図1破線の如く曲線となる。さらに糖質を増加すると,その糖質がすべて尿糖となって排泄されるので,収支差は増加せず不変にとどまる。
この上に糖質を加えると,今度は追加した糖質量より多量の尿糖を排泄するので,収支差はかえって減少し,曲線は比較的急激に下向し始める。
したがって以上の経過を示す曲線は,図1の破線の如く放物線を描くのである。
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書き方がわかりにくいのですが、要するに、毎日食べさせた糖質量と、一日の尿糖量(蓄尿して全部測った)を記録して、その差を点線にして書いていったわけです。
で、その点線のカーブの形が放物線を描くからその頂点が患者さんの糖処理能力の限界点である、などとお考えになられたわけです。
(その考えに至る詳細は後述します。)
(また、上に書かれている「耐容力」というのは、尿糖が全く出ない糖質摂取量上限のことです。)
さて・・・。
2型糖尿病患者さんが糖質を食べさせられているわけですから、インスリンで抑えきれない糖質負荷がかかり始めると、食後高血糖になります。
食後の血糖値が160~180mg/dlを超えると尿に糖が出てくるわけで、その溢れ出した糖を計測しているわけですね。
こんな実験、糖質制限を行っている我々から見たら絶対に許されない実験ですよね。
尿に糖が出た時点で糖質負荷量の上限(つまりこの時代で言うところの耐容力)に到達していると考えるべきで、このグラフのケースで言えば、許される糖質摂取量の上限は、一日あたり60gから90gの間にあるはずです。
それを無視して糖質摂取量を上げていけば、尿糖として排出される糖の量も増えていく、負荷が強くなるに従って症状も強くなるのは自明です。
ここに示された尿糖の数値を見ると、開始後8日目ぐらいまでは尿糖の上がり方は毎日4~5gで、直線的ですが、8日目から9日目は一気に12g増加、次の日は18g増加と、かなり制御困難になり、すごいカーブを描いて上昇することになります。
ですが、尿糖は基本的に、「血糖値が高いために腎臓で再吸収しきれなかった糖質が尿内に排出される」状態を表していますから、これは膵臓の機能の限界超えを表しているのではなくて、腎臓の機能の限界超えを表していると思われます。
ある時点の血糖値が腎臓の再吸収のキャパシティを大幅に超えて、完全にフローするようになり始めたという質的な変化を表しているのだと思われます。
んで、この研究ではさらに、その尿糖の反放物線的な数値変化を、直線的に摂取増加させた糖質量変化から引いた「収支差に注目する」という理由のわからないことをしています。
現代の常識から考えれば摂取可能な糖質の量は60gから90gの間に、尿糖の変化から、腎機能に大きな負荷がかかり始めるのが、糖質摂取量240gから270gの間にあることがわかるはずですが、「収支差」のグラフにすることで、その両方を見えないようにしています。
そして、両方のポイントをはるかに超えた、糖質摂取量300gから330gのあたりに限界点があるかのような解釈を加えているのです、上界という言葉が作り出されます。
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すなわち収支差には一定の上界が存在する。この上界はDMの軽重によって変わるのはもちろんであるが,健康者にはこの上界はない。ただし糖質を著しく多量に摂取した場合は別である。
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データを操作して作り出してしまった「糖質摂取量300gから330g」というのを、このグラフの患者が糖質摂取できる限界点、「上界」だとし、そしてその限界点が患者によって異なることを指摘したわけです。
さらに論文を読んでみましょう、その根拠とするための恐ろしい誤解がさらに生まれています。
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ここで大変興味のある事実は,最初厳重食を続けて尿糖陰性とならない場合(耐容力零)でも,日々糖質を上記の如く追加していくと収支差は増加し,ほぼ同様の曲線を描くことである。
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これはどういうことかと言えば、糖質制限を5日間続けても尿糖が0とならなかった患者さんに同じように漸増的に糖質負荷をかけていった実験をした時の観察結果を述べています。
もともと糖質制限しても尿糖が出ていたような重症の糖尿病患者に糖質負荷を漸増的にかけていくと、やはり尿糖が次第に増えていき、途中から急速にそれが悪化するという観察結果を得ます。
この観察事実に対して以下の考察が生まれます。
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以上の成績から先生は次のように考えられた。
「従来,糖処理能力の上界は,耐容力と同じとの考えが一般的であったが,これは修正を要するのではないか。即ち糖処理力は耐容力をこえても,インシュリン(以下イと略する)の有無にかかわらず依然存在し,その上界は耐容力より遥かに大きく, しばしば耐容力の数倍であり,耐容力零の場合でも,かなりの程度の(糖寡量の)処理力を持っている。
このことから耐容力を少しでもこえた糖質量は,ただちに有害不利であるとの従来の考え方は合理的でない。むしろDMの治療に至適の糖質量は,耐容力をこえ収支差の上界との間で,耐容力に近い点にある」
と。
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(グラフに即して具体的に言えば、上界が300gから330gであり、その手前(耐容力側)の270gが至適糖質摂取量であると結論づけてるわけです。)
糖質負荷を漸増的に上げていくことで、尿糖排出が途中から急速に増えていくことは事実のようです。
ですがこれは、おそらく、「腎臓の再吸収機能の限界超えによる急速悪化、オーバーフロー」を見ているだけのことではないかと思われます。(ここは私、不確かな推測なのでどなたかご意見いただけると嬉しいです。)
ところがそれを、そこにその患者の糖質処理のもう一つ上の限界がある、つまりは「そこまでなら糖質食わせても大丈夫である」、と勘違いしたわけです。
そして、インスリン発見以前から正しい判断基準であった「耐容力」、つまり「尿糖が出ない量の糖質制限にとどめるべきである」という考え方を切り捨ててしまうのです。
・・・このような考察をもとに、影浦先生はその理論の臨床応用へとつき進まれます。
概略すると以下のような方法論となります。
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先生はこのご見解を臨床に応用された。たとえば収支差の上界が1日糖質量150gに達しない場合は,インスリンを使用して200g前後まで許容された。
またその上界が200g以上,300g前後くらいの場合は,患者の身長,体重,職業から,本人の米飯への依存度(毎食どれくらいとれば一応満足するか,腹づもりとでもいったらよいか)を必ず考慮されて, 1日の糖質量をきめられていた。
大約1日200~ 300gの指示が多かったと思う。これは上述のお考えに,日本人の食習慣を加味した,患者さん本位の先生独特のやり方で,現在でも至適の糖質量である。
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・・・・・・・・・至適の糖質量って(^_^;)。
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この治療法で具体的に患者さんの糖尿病はどうなっていったのか?
実は、この概念に基づいた糖尿病治療法は患者さんの治療で良い成績を上げます。
ということは、尿糖が出るような糖質負荷をかけることは、正しい食事だったのでしょうか?
答えは「否」です。
そのことについて、この論文に掲げられた症例を見ながら考えてみましょう。
ただ、あまりにも長いので、次の記事で書きますね。
⇒糖質摂取しないと糖質代謝能が落ちるという理屈 症例報告編
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