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砂漠で生き延びる方法


彼は待っていた。

幸せなまどろみから徐々に目覚め、数日前から?あるいは数週間前から?

暗い、狭いスペースでじっと、焦ることなく、しかし鋭敏な嗅覚は注意を怠ることなく、何かを待っていた。


腹の下の湿り気はかなり心もとなくなってきていた。

彼のビーズ状のウロコは意外に乾燥に強いものであったが、全くのドライな環境で何日も耐えられるものではない。

彼が住処として選んだ岩の下の狭い空間は、雨を溜め込むのか常にジメジメしていたが、それでもこれだけ晴天が続くと枯渇に向かうようだ。


彼の短い尾は今ややせ細っていた。

十分な食物を得た後には、その大きな頭と見紛うほどの太さになる彼の大きなしっぽは、今やそのへんのサボテンの刺の隙間を走り回る小さな彼の仲間のしっぽのように細かった。

もう、蓄えは付きかけていたのだ。

彼が待っている匂いか、せめて雨か、どちらかが訪れてくれないと彼の生命に危険信号がともされかねない。

でも、彼はじっと待っていた。

800px-Infiernillo_Tiburon_Island.JPG


その夜、彼はかすかな匂いに気がついた。

彼の縄張りのはずれのほうにある木の上からそれは漂ってくる。

「生まれた!あの食べ物だ!」


のそり、彼はゆっくりと頭をあげ、そして短いが頑丈な四肢で固い全身を持ち上げる。

2フィート(60cm)に届くだろうか、かなり大きな成熟した個体である。


のそり、のそり。

ゆっくりと岩の下から出てきた彼は目標の木の上を目指す。

月明かりが煌々と地上を照らし、思ったよりも明るいが、彼にとって月夜かそうでないかは基本的にはあまり関係ない。

(おそらく闇夜の方が食事には向いているだろう)


ゆっくりと匂いに向かって歩き出した時に、彼は思わぬもうひとつの匂いがそばに訪れたことを知る。

唐突に、非常に唐突に空から降り立ったその生き物。

いや、降り立ったのではない、傷ついて、そして落ちてきたのだ、なにかほかの生物の攻撃を受けて。


彼はもちろんその生き物の匂いを知っていた。

非常に美味しい食事であるその生き物は残念ながら足が速く、追跡してそれを捉えて食べたことはない。

彼らがうっかり彼の巣穴に潜り込んできて彼の目の前までやってきた時に食べることが出来るだけだ。

小さな生き物にとっては死神の手であるその両ハサミごと、頭からかぶりつく。

必死で振りかざすその生き物の尾の先の毒針は、彼の硬いビーズ上のウロコに阻まれ、彼の食事を止めることができない。


「あれは旨い。」

彼の原始的な記憶回路が食への本能と絡まって原始的な記憶力を呼び起こす。

そして、突然落ちてきたその夜のその生き物は、既に傷ついて動けない状態だった。

彼にはそれが匂いでわかる。


のそり、のそり。

50フィートほど先の岩場だ、そこに食べ物は落ちてきた。

遠く上空で羽ばたく音がする。

おそらくその生き物を捉えた羽ばたくものだろう。

彼にとっても危険な相手の一つだが、その羽音から想像される大きさを考えると、成熟したオスの彼にとってそれほどの驚異ではない。


のそり、のそり。


落ちてきた生き物は弱々しげに足を動かしているが、毒針を持った長い尾はだらしなく地面に横たわっている。

大きなハサミも持ち上がる様子はない。


・・・のそり。

「・・・いた。食べ物。」


彼の体と比べれば小さくて細い獲物、長さにして1/4ほどだろうか?

凶暴な嘴で挟まれ、つつかれて傷だらけのその節足動物はもはやどこにも逃げる気配をみせない、ただ弱々しく足を動かすだけだ。


「久しぶり、食べ物。うまい食べ物。」


彼の常食は本来、鳥の卵やひなであった。

動けない、あるいは逃げる能力の弱いそれらの生き物を丸呑みするのが彼の主な食事である。

もちろん、そんな食べ物、年に数回しか食べる機会はない。

鳥の繁殖の時期は限られているし、親鳥の反撃で諦めざるを得ない時だってたまにはあるのだから。


だが、主食ではない食べ物に、時に彼はありつく。

ほかの生物が怪我を負うなどして動けなくなった時に。

あるいは大きな獣による食べ残しがもたらされた時に。


雨季以外は乾燥し、過酷な気候となるその半砂漠地域の岩山で暮らす彼にとって、それらの予定外の食事はラッキーな、しかしとても大事な食事となる。

貴重な栄養を、余すことなく彼は飲み込み、自分の命の糧へと変換させなくてはならない。

ゆっくりと、しかし確実にその傷付いた獲物に近づくと、彼はその獲物の横腹に噛み付いた。

Asian_forest_scorpion_in_Khao_Yai_National_Park.JPG


ピシッ!


不意に彼の右目の上を衝撃が襲った。

夜行性の猛禽類に襲われ、だが運良く地上に落ちた大型の蠍は最後の力を振り絞って、新たなる捕食者である彼に反撃したのである。


ピシッ!


何度も鋭い毒針が彼の顔を狙う。

幸い、硬いウロコに阻まれて毒針は彼の皮膚に刺さらない、しかし、ウロコのすきまや目にその毒針が滑り込むと、彼は激痛にしばらく悩まされることになる。

飢餓状態での活動停止は死を意味する。


彼はガッチリと獲物を捉え直した。

強靭な顎の力がメリメリと獲物の脇腹を食い破る。

キチン質の体の外皮が断裂する音が夜の空に響き渡った。


腹側を走る中枢神経を切断された蠍の尾はコントロールを失ってただのたうつだけのそれほど怖くない武器に成り下がった。

だが、彼はまだ気を抜くわけには行かない。

節足動物のハサミはまだ生きている。


がっちりと獲物をくわえ込んだ彼の下顎からは大量の唾液腺液がほとばしった。

少ない水分を溜め込んで用意した毒液を含むその液体が速やかに獲物の傷口から獲物に止めを刺しに浸透する。

複数の神経毒、そして組織を破壊するプロテアーゼ、数十秒後、蠍にもはや抗う術はなくなった。


動きが緩やかになった獲物を彼はくわえ直した。

ばくり、ばくり、、、ごくり。

獲物の反撃がなくなったのを確かめたあとの彼の獲物を飲み込むスピードは早かった。

ごっくん。

数口で蠍は長い尾の先の毒針を除いてこの世から姿を消した。

閉じていた目を薄く開いて、彼は旨いえものを食べた幸福感を噛み締めていた。


800px-Gila_monster2.JPG

彼の種族名はGila monster、学名はHeloderma suspectum、和名をアメリカドクトカゲという。

アメリカ南部からメキシコ北西部の砂漠地帯に住む、体長60cm、体重2kgにも到達する大型の爬虫類である。


その凶暴な毒針をもともに飲み込んだ彼の胃袋の中で、節足動物の体は消化され始めていた。

このとき、彼の体の中では、過酷な環境の中で生きていくために彼が獲得した栄養吸収システムがものすごいスピードで作動し始めている。

実は、動き回る敵を捕食した時に噴出する毒液を含む唾液腺の中に、彼は自分の体に指令を出すある物質を噴出していたのである。


人間が exendin-4と呼ぶその物質は彼の体に作用して膵臓からのインスリンの放出を促す。

人間で言えばインクレチンと呼ばれる物質の一つであるGLP-1によく似た構造のその物質は、組み換え遺伝子工学により人間の2型糖尿病の治療薬として利用されるようになった。

どうして人間のではなくてアメリカドクトカゲのそれを薬にするかというと、彼らのインクレチンは人間のそれに比べると非常に分解されにくく、長期作動効果が期待できるからである。


面白い事に、彼の唾液腺から多量の唾液が放出されるのは、獲物を何度も噛む動作をする時であると考えられている。

噛めば噛むほど、その度に唾液腺から唾液がほとばしる。

彼の栄養吸収に指令を出すその物質は、彼の主食である鳥の卵を飲み込む時にはそれほどたくさんは放出されない。

噛むという行為に伴ってしか、インスリンを速やかに上げる必要性はないとみなされているのである。


それはなぜか?

それは獲物の栄養組成の違いによるところが大きい。

ほとんど脂肪とタンパク質だけで構成される卵(糖質は1%以下)と異なり、節足動物や、小型鳥類や哺乳類を丸呑みするときにはそれらの生物の体液や肝臓の中にたくさんの糖質が含まれている。

糖質はコストパフォーマンスの良い栄養素だ。

消化に手間をかける必要がなく、しかも、肝臓に吸収すれば、速やかに脂肪という長期保存に優れた形態に変換することが可能である。

肉食のアメリカドクトカゲにとっても効率の良い貴重な栄養素であり、余すところなく吸収したい栄養素である。

しかも彼らは年に数回しか獲物にありつけない。

糖質という最高のご馳走は、1mgだって無駄に失いたくないのだ。


かくして、噛むという行為とセットでアメリカドクトカゲの唾液腺からは大量のインクレチンが放出され、速やかなインスリンの上昇が促される。

放出されたインスリンは獲物の中の糖質を余すところなくアメリカドクトカゲの細胞内に吸収し、さらに、速やかに脂肪へと変換する。

脂肪に変換された糖質はどこに行くのか?


彼のやせ細ったしっぽを思い出して欲しい。

砂漠のらくだのコブのように、彼はその短くて大きなしっぽの皮下に、大量の脂肪を溜め込むことができるのである。

その蓄えが尽きかけた時に彼らは捕食行動を再開するが、しっぽに脂肪が満たされているあいだはおとなしく隠れ家でまどろんでいる。


食事中の糖質を速やかに脂肪に換えて蓄える。

砂漠という過酷な環境で生きる生物が生き残るために身につけた能力であり、それを支えているのがexendin-4、長期作動型のインクレチンなのだ。

冬眠前の熊のように、栄養を溜め込む必要のある状況に常にあるのが彼ら砂漠の生き物。

そのために、アメリカドクトカゲのインクレチンは唾液とともに放出される上に長期作動性なのだ。

487px-07._Camel_Profile,_near_Silverton,_NSW,_07.07.2007.jpg
(ラクダのそれがどうなのかは知らないが、ひょっとしたらラクダのインクレチンやその阻害剤の構造は人間のものと大きく異なる可能性があるよね、これを読んでいる製薬会社の方、すでにご存知でしたら教えてください。誰にも知られていなければ新しい薬の特許のネタになるのかもしれないよ。)



さて、冒頭で思わぬタナボタのさそりというおやつを食べたアメリカドクトカゲの彼。

彼がそのあと、鳥の卵を食べに行く旅に出かけたかどうかはわからない。

しかし間違いなく分かっているのは、彼の肝臓と、そしておそらくやせ細ったしっぽには、すごい勢いで脂肪が蓄積されていったであろうということだ。

インクレチンとインスリンが獲物(この場合は大型のサソリ)の体の中にあった糖質を吸収して速やかに脂肪に変えるのだ。

もしも獲物が彼のしっぽを太らせるに十分な量の糖質を含んでいたとしたら、彼は再び岩の中に戻り、再び空腹が訪れるまでの快適なまどろみの中に戻るだろう。

その幸せを確実に得るために彼の唾液腺の中にはインスリンの放出を促す長期作動性のインクレチンが放出されるのである。



もう一度考えてみて欲しい。

ここでも何度も書いているが、糖質は決して我々の敵ではない。

我々が生きていく上で、飢餓状態を備蓄した脂肪で生き延びていく上において、最も効率の良い、求められるべき栄養素であるのだ。

人類に文明というものが誕生したのも「農耕」というライフスタイルが成立して、「糖質」という非常にコストパフォーマンスの良い栄養素を安定して摂取することができるようになったからにほかならない。


そのことを十分に肝に銘じた上で、

有り余る糖質に恵まれた現代という時代に感謝を忘れずに、我々は糖質摂取量を賢くコントロールして、我々の健康を維持していかなければならないと思う。

効率よく生きているアメリカドクトカゲに笑われないように。

われわれは、彼らよりずっと賢いはずであるのだから。




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と、いうことで正月の妄想でした。

今回の内容は、すべてについては科学的事実の裏付けをとって書いたものではありません。

蠍の画像もアジアのそれで、整合性が取れていませんが、イメージ画像ということで。。。


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2013年1月 7日 11:46

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コメント(1)

この記事の内容ですが、2012年年末の私の知識の範囲で書きました。

その後、インクレチンに関する様々な論文やレビューが出て、今となっては本文中に書いているなぜドクトカゲの唾液中に多量のインクレチンが分泌されるのかについて、私の解釈が間違いであったと考えています。

訂正の記事を予定しております。

それはそれとして、一方でこういうものを書いてしまった事実は訂正しませんので、ご参考までに。

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