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日本人が米を大事な食べ物だと思いこむようになった理由のルーツは?



戦国時代や城の話、あなたはお好きですか?

私は40代半ばぐらいから、時代物の小説、ノンフィクションや歴史探訪の旅(城や城跡の見学+ご当地のおいしい食事とお酒)が大好きになりました。

マニアックな戦国武将や戦いの話をしたり、城跡の土塁(ってただの盛り上がってる土地)見たりして、それだけで萌えるんです(笑)。


そして戦国ものが大好きがゆえに、糖質制限にまつわるお話について思わぬ発見をすることもあります。

今日はそんなお話を一つ紹介しましょう。

白米神話のルーツが秀吉にあるのではないかというお話です。





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織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といえば戦国時代に全国制覇を目論んだ三人ですよね。

この三人の性格を表すのに、江戸時代になって詠まれたという以下のような狂句がありますね。


鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス 織田信長

鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス 豊臣秀吉

鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス 徳川家康


パラダイム破りの苛烈な性格、創意工夫を凝らすのが好きな性格、そして期を見るまで待てる周到な性格。

で、この中で誰が一番悪党なのか(笑)?

う~ん、みんな悪党なんだけど、

日本人を白米信仰で洗脳する悪事を始めた人は誰かという話で言えば、秀吉、そして家康です。

最終的には徳川幕府の時代なんですが。


どういう話なのか、順を追って説明しますね。




<1.信長の銭の力での戦略のパワーと限界と>

織田信長の父親の織田信秀は尾張という小さな国の国主でした。

戦国時代半ばのその時代、国力を決めるのは国土の、それも水田や畑の広さでした。

なぜならばそれが食料を生み、広ければ広いほどたくさんの人間(=兵力)を養えるからです。


そんな中でなぜか小国の織田家は伸し上がってきます。

それは尾張に住む津島商人たちを手厚く保護して商売を活発にさせて、米や農作物ではなくて銭の力をもって軍備・人員を増強したからです。

この時代にあって、それができたのは尾張という地勢が商売に向いていたからということもありますが、やはり信秀の才覚だったのでしょう(あだなは器用の仁)。


信秀の銭の力の下克上をまざまざと見せつけられて育った信長は、当時、東海地方で最大勢力を誇った今川義元軍の侵攻を受け、それを防ぐために桶狭間で奇襲をかけます。

運よくそれに成功した織田信長は津島商人だけでなく、熱田神宮の宮司やそこにかかわる商人たちの財力をも利用できるようになり、全国に勢力を展開していきます。

信長配下の武将たちも各国を預かる大名として全国で名を馳せるようになりました。


しかし、全国展開には懸念がありました。

部下たちへの報酬です。

全国展開すればするほど人手が要ります、費用もかさみます。

その中で各地を納める大名への報酬も少なくとも最初は与えなければならない。


困ったことに銭の力、織田家の勢力が広がれば広がるほど足りなくなりました。

最大の要因は、全国に流通する貨幣量の少なさです。

尾張、津島、熱田などの商売の中心地になら潤沢に流通していた貨幣が、地方を征服しても、その国での流通量はわずかばかり、ほとんど手に入りません。


けっきょく、信長は配下の武将に十分な報酬を与えられなかったり、領地をとり上げて息子たちに与えたりせざるを得ず、次第に部下から恨まれるようになります。

そして本能寺で謀反に遭い、この世を去ります。




<2.秀吉と三成、そして堺商人たちの全国経済制覇の野望>

信長が明智光秀の謀反で打たれるその少し前、織田家による中国地方攻略のトップの任に当たっていた秀吉は考えていました。

信長の銭の力に変わるなにかがないか、貨幣と同じような価値として使えるものがなにかないか。

そして見出しました。米です。


米は最初に書いたように、その国の石高がそのまま国力に結びつくようにすでに大事な作物としてみなされてきました。

しかしながら、それは「備蓄できる食料」としての価値に重きを置いた考え方です。


しかし、秀吉は着眼点がちょっと違いました。

柴田勝家から学んだ検地という考え方で、各地の米の取れ高を詳細に把握できることに気付いた秀吉は、中国地方を制覇し、そして山崎の戦で明智光秀を破って実質的な織田家のトップになってからそれを活用します。

米を食料としてではなく、貨幣として利用することを考えだしたのです。
(実際に考えついて算段したのは石田三成たちであるとされます。)

もちろん、小麦や米という備蓄が効く食料である穀物の貨幣的な価値については多くの大名や商人が気づいて活用していたかもしれません。

でも、秀吉のすごいところは、全国各地の米を利用したところです。


秀吉が制覇した全国各地は気候が異なりますので、米の取れ高も各地で異なり、ある地方で不作でもある地方では豊作ということがあります。

つまり、たくさん採れるところで安く買いたたいて、不作のところで高く売る。

米だけでなく、全国各地の農産物や特産物を動かしてもっとも利益率が高くなるように売買する。


その権利を秀吉は堺の商人たちに売りました。

それとの引き換えに堺の商人たちからは軍資金を受け取ります。

商人たちにすれば、巨額な軍資金を秀吉に投じたとしてもそれ以上に稼げばいいだけの話です。


かくして、米を貨幣とする考え方、そしてそれで為政者やそれに近しい大商人たちだけが巨大な利益を得るシステムがこの時代の日本に芽吹いたのです。




<3.白米を中央に集めることで盤石の幕府を築いた徳川家>


今川義元の下で人質として幼少時代を過ごし、織田家でも一時期、人質として過ごした徳川家康(松平元康)。

今川を離れて松平家を復活後も武田と織田に挟まれて、織田との共闘を選んでいましたが、常に不安定な状態の国を守り続けていました。

戦国の梟雄たちの動静を伺いながら、耐えに耐え、やがては自分が動きだすベストタイミングを見るのが得意になっていったのだろうといわれますね。


大坂夏の陣で豊臣家を完全に滅ぼして全国を手中に収めたとき、すでに目指していたのは徳川家の安泰です。

ここでもカギを握ったのは貨幣としての米の価値です。


豊臣秀吉の太閤検地による農産物の把握と堺商人を使った米・農産物市場の全国展開。

それが生み出す利益を徳川幕府の安定のために最大限に生かすにはどうすればいいのか?


そこに腐心して徳川幕府は全国各地に幕府の直轄地を作り、そこから直接、米を中心とした農産物を幕府のものとしました。

これで安定収入確保ですね。


さらに、全国の諸大名から大量の年貢米を納めさせて幕府の米の蓄えをどんどん増やしました。

江戸城や江戸の町の改修工事に人員や資金を提供させるのと合わせて、諸大名の国力をそぐこともできます。


ここまでは計算通りでしたし、集めた白米の食べ過ぎで体を壊すのは支配階級の上位の人たちだけでした。

しかしこの後が問題なんですね。




<4.白米崇拝を日本人の心にしみわたらせた江戸時代>


徳川幕府は直轄の旗本たちに報酬として全国から集めた白米を配給します。

地方から江戸詰めで働きに来ている武士たちが受け取る報酬も白米です。

白米をもらっても食べきれない武士たちはそれを換金して生活費にあてます。


これにより何が起こったのか?

白米は江戸に集中し、江戸では白米が余るようになります。


たくさん集まる白米をどうすればいいかというと、江戸の一般庶民にどんどん買って食べてもらうのがよいですよね。

そのためには「白米を食べる習慣」を広めるのが一番です。

そして、できれば毎日たくさん食べてほしい。


実は、江戸時代初期まで日本の大部分の人たちの間で、食事は一日二回が普通でした。

しかし江戸時代初期の江戸城が消失するような大火の後、街の復興のために駆り出され、一日中働かされた労働者のためにお昼ごはんが提供されるようになります。

もちろん握り飯です。

現代でもそうですが、長時間の肉体労働に従事している労働者にとって、白米の食事はすぐに消化出来てエネルギーにできるという点で理想的な食材です。

疲れ果てていても、握り飯を食べて血糖値が上がればドーパミンが出て元気になりますし、筋肉もすぐにブドウ糖を利用できますから、食後すぐに働けます。

労働者をせっせと働かせるのに、白米を一日三回食べさせるのは為政者の側からしても好都合だったはずです。


これをきっかけに江戸の庶民全体に、一日三度ご飯を食べるという習慣が広がります。

そして主食は白米ですから、武士から買い取った余剰米の処理に困っていた商人たちも安心です。

というか、米を抱えた江戸の商人たちこそが「一日三食、白米を食べましょう。」という運動の仕掛け人だったのかもしれませんね。

江戸時代は江戸前寿司が発明された時代でもあります。

刺身を載せて酢で味付けした白米を食べるファストフード、白米が余った江戸の町ならではの発明品ですね。




これはヨーロッパにおける砂糖余りと似ています。

黒人奴隷をたくさん集めてきて南の島でプランテーションを経営して、最初は高級品だった砂糖が値崩れし砂糖商人たちは困ります。

目を付けたのが労働者です。


労働者に、紅茶に砂糖を入れて飲ませると、急速に上がる血糖値にドーパミンは出るわ筋肉のエネルギーは補給されるわで、ちょっとの休憩ですぐに働いてくれるようになります。

紅茶と結びつけて一般庶民に販路を広げることで、砂糖商人たちは大きな利益を安定して確保していくことができたのですね。

こうして紅茶やコーヒーに砂糖を入れて飲むという悪しき習慣が・・・だいぶ脱線してきたのでやめます(;^ω^)。


で、日本に話を戻します。



<5.明治から第二次大戦までの軍国日本を支えたエネルギーのひとつは確かに白米であった>


さて、白米に貨幣と同等の価値を持たせ、日本中で流通させたのは豊臣秀吉です。

それを確立させ、さらには貨幣価値の落ちた白米を「毎日消費すべき食材」として習慣づけたのは江戸時代の幕府であり、江戸の米商人たちだったと考えられます。


しかし、江戸時代にできた「一日三回白いご飯を食べる」習慣が根付いていたのは江戸を含む大都市だけの話です。

人口の八割が日本全土に散らばる農作業者であった江戸末期の日本では、以前として地方では米は年貢として納める貨幣のような農産物でした。

一般の農民が食べるものではありませんでした。


その間接的な証拠が、明治時代の富国強兵の政策の中で生み出された兵隊募集のキャッチコピーです。

「軍隊に入れば一日六合の白米が支給される。」

この殺し文句に九州や東北の農家の次男三男は飛びつきました。

白米は明治時代の初期にもなお、貨幣にひとしい威力を持っていたのです。


そして明治・大正・昭和と軍国主義の流れの中で、白米は日本軍の兵隊のパワーを支える大事な食料として重宝されます。

食べたら即エネルギーにできて疲労を回復できる糖質たっぷりの白米は、激しい兵役をこなす兵隊たちに最適の食べ物だったのです。

第二次大戦の時ですら、携行食の中心は白米で、一般国民が食糧難で雑草や芋を食べていても、兵隊たちには白米がたっぷり(補給路が途絶えなければ)支給されました。


日本軍が白兵戦に異様に強かったのは武士道の精神などもあったかもしれませんが、確かに白米という食料が戦闘行為に向いていたからだとも考えられます。



<6.平成時代の現代まで、秀吉の始めた白米の貨幣化は今なお続く>


第二次大戦以降、焦土からの復活を試みる日本は、農業の復活に必死になります。

戦国時代と同様に、まずは食料の確保が第一です、そのためにもっとも効率がよいのはやはり、稲作での米の確保です。

すべての職業の人たちが(おおむね)勤勉に働きましたが、農地法の改正によって自分たちの田んぼを手に入れ、自分の米を生産することができるようになった小作農家の人たちは、第二次大戦後にもっとも勤勉に働いた日本人たちの一つではないでしょうか。


アメリカからの援助物資に助けられながら、昭和30年代になると白米による食料自給が見えてきました。

それどころか、昭和40年代になるとコメ余りが問題になり始めます。

国の政策として米作りを奨励してきた農林省は困ってしまいますし、米を売買することを商売にしている人たちも困りますよね、江戸時代の米商人たちが困ったのと似てますね。


昭和50年代、官僚と一部の栄養学者との話し合いで、日本人が食べるべき食事の栄養バランスなるものが決められます。

「炭水化物60%、たんぱく質20%、脂質20%」

これは1980年当時の国民の平均摂取エネルギーバランスに倣っただけのもので、科学的根拠はありませんでした。


http://xn--oqqx32i2ck.com/review/cat22/60.html

http://kinkiagri.or.jp/library/foods/nihongata-shokuseikatsu.htm
http://www.maff.go.jp/kyusyu/seiryuu/daizu/pdf/gijigaiyou_kityoukouen.pdf




国民全員に一日三食、炭水化物60%の食事を摂取させれば、勢い、米の消費は安定します。

江戸時代の幕府と米商人のお知恵拝借です。

しかし、第二次大戦後、欧米から入ってきた様々な食材を食べることを知った現代の日本国民は、そう簡単に算段通りには動きませんでした。


国民に白米をがっつり消費してもらわないと困る。

そのためにふりかざしたのが以下のようなキャッチフレーズですね。

「日本人は神代の時代からお米を食べて来た農耕民族なのだから、三度三度しっかり白米を食べないと体を壊します。」

というあれです、今でもこれをどうどうと言い張る方々がたくさんいます、科学的根拠は示してくださいませんが。


挙句の果てに、このようにもおっしゃいます。

「糖質制限なんかしたら体を壊す、糖尿病になりますよ。ご飯食べなきゃダメです。」

まあ、ここまでいくと無知さ加減が哀れとしか思えないのですが、、、




<まとめです>

・・・また脱線しかけました(;^ω^)。

まとめましょう。


0.信長は貨幣経済を軸に全国制覇を目指したが、流通量が少なくて挫折した。

1.白米の価値が上がったのは秀吉の時代からで、それは代替貨幣としての価値であった。

2.徳川幕府が白米を全国から江戸に集めて管理し、幕府の財力を支えた。

3.白米が余り始めた江戸時代から「白米を一日三回食べる」習慣が広まった。この習慣は労働者を働かせ続けるのを容易にし、為政者にとっては好都合であった。

4.軍国主義の日本の兵隊を支えたのは白米のエネルギーであったことは確かだ。この習慣は兵隊を戦わせ続けるのを容易にし、為政者にとっては好都合であった。

5.第二次大戦後の日本の復興を支えた産業の一つは白米作りであった。まずは食料の確保は正解である。

6.しかし頑張りすぎて白米、作り過ぎてしまったのと、食の多様化もあり、余った。

7.余剰米をなんとかしたい人たちが知恵を絞り、炭水化物60%摂取のキャンペーンをはって国民を洗脳することに努めた。

8.この一連の流れを知らない人が洗脳されたまま、「日本人は農耕民族だから白米食べなきゃ。」と未だに言いはっている。



と、戦国ものに興味を持つと、このような糖質を巡る日本社会の時代の流れを知ることができるのですね、歴史オタク万歳\(^o^)/。




( ・_・)ノ☆(*_ _)ばしぃ!!


2017年8月20日 16:06

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コメント(15)

いつの時代も労働者に対しての食糧確保に知恵を絞ってきたんですね。
実際、お米というのはスゴイと思います。
栄養不足であったとしてもお米があれば動けますよね。
カロリーも稼げます。

私は元々厳しいカロリー制限をしてきたせいか、糖質制限でしっかり食べていると思っていたのに実際にカロリー計算してみるとまさに混ぜるな危険状態になっていました。
今は頑張って日本人の摂取カロリー基準は摂るように逆の意味でのカロリー計算生活です。
それが、なかなか大変なのです。
食べられないんです。
でも炭水化物だとたくさん食べられちゃいますね。
炭水化物は低カロリー低脂肪だという神話を信じて野菜と玄米なんて食事の女性が大勢いると思うんですが、みんな栄養不足なのではないでしょうか?

昔から白米のおかげで生き延びてきた事実はあります。
貴重なエネルギー源でしかも美味しい!
今迄ありがとうと言いたいです。
しかし、医療費を削減したいと思っているのなら、炭水化物60%

いやー!途中で投稿しちゃいました。

続きです。なんだっけ?
政府は炭水化物60%とか言ってたら、というか、炭水化物を減らすように指導しなければ医療費は削減出来ないと思うんですよ。
友人達や親戚の子供達が食べているものををじっくり観察すると、おにぎりや焼きそばの麺だけ、スナック菓子。
何も食べなかったらこれだけは食べてとおにぎり。
これ、炭水化物が身体に良いと思ってるからですよね?
いつも心の中で「これだけはというならタンパク質!」と叫んでいます。

めちゃ脱線しました。
暑いですが、お身体気をつけてくださいませ。

先生、この度もわかりやすく面白いお話をありがとうございます。

>しかし、もともと酪農王国であったスウェーデンは低糖質高脂肪の栄養指導にスムースに政策転換できましたが、日本の場合はことは簡単ではないですね。

*この夏は急に暑くなることも多く、暑さに弱い自分は買い物ついでに惣菜とかで簡単にすませたいと思っても、結局糖質制限的には何も買えず。
しかしそのような日は頭も働かず、自分でつくるのは億劫。
不思議なことに頭が働いていない時に食べたいなと思うのは、おいしそうなサンドウィッチや、きれいに作ってある一見ヘルシーな弁当や、カットフルーツ等高糖質なものばかりなんですよ。

外で目にするものはコンビニからデパ地下に至るまで高糖質なおいしそうなものばかりだし、あ~誰か毎食作ってくれるなら糖質制限もラクなのにな~と思ってしまいます。自分で作るものが基本おいしくなく感じてしまう性格なので、本当にやっかい。

前置きが長くなりましたが(おい)、何も意識しないでいたらデフォルトが高糖質な食事になってしまうのが今の日本。この現状を変えようとしても国、生産者、色々ハードルが高そうです。
以前よりは低糖質に目を向けてくれる食品メーカーも現れていますが、現状が変化するまでになるのはいつだろうか~~;

米といえば寿司ということで…?
さいきん糖質制限食者によるシャリ残しがマナー違反で槍玉にあがってますが、これならいけそうですね。NHKのニュースでもとりあげていました。

ファミレス、コンビニ、牛丼屋、定食屋に続き、回転寿司業界大手が糖質オフメニューに参入で選択肢が広がる、いいですね。

「くら寿司の新メニューは"シャリなし"!? 「糖質オフ」の新商品を食べてきた」
http://news.mynavi.jp/articles/2017/08/29/kura/

久し振りに、投稿させていただきます。

ここのところ、力の入った記事が続いて、嬉しくもあり、読みこなすのに時間がかかったり(笑)。せっかくの充実した記事にコメントを送らず、失礼致しております。


さて、今回のお題、米と経済の話題ですが、「日本人は農耕民族だから米を食え」と並んでよく言及される、「米は歴史的に経済の根幹」という思い込みに対する、非常に鋭い反論と思います。

「稲作教」の大本山の一つ(笑)JA全農のサイトに「米ライフ」(「まいらいふ」と読むらしいです。洒落たネーミングですね←棒読み)というコンテンツがありますが、http://www.zennoh.or.jp/kome/fact_book/intro_pc.htmlその中に、次のような記述があります。

>お米が日本人の食生活の上で中心的な役割をもつようになるのは古墳時代に入ってから、とくに大和朝廷が全国をほぼ統一した4世紀半ば以降のことです。朝廷は、水田を整然とした区画に分ける条里制を実施し、国民一人ごとに一定面積の水田を口分田(くぶんでん)として割り当て、収穫を田租として収めることを義務づけた班田収授制を実施しました。
各々の国は米の生産量によって評価されるようになり、この頃から米作を通じての国家の経済統制が定着するといえるでしょう。


ふ~ん。そうなんですか~。
大昔から米が社会の根幹だったんだ、と言いたいわけですね。なんだかこれを読むと、古墳時代(4世紀)からきっちりとした田租の制度が確立して、国家経済の中核をなしていたみたいな書き方ですが、そもそも班田収授法が確立するのは8世紀、奈良時代のことなんですけどね。


では、8世紀に、田租が国家経済の根幹をなすものだったのでしょうか。奈良時代には、租庸調という税制があり、そのうちの「租」が米の収穫に対する税であったことは、改めて説明するまでもないと思います。

さて、この「租」の、実際の税率はどのくらいのものだったでしょうか。701年に施行された大宝令の『令義解 田令』には次のように記されています。

--------------------------------------------------------
凡田、長卅歩、広十二歩為段。十段為町。段租稲二束二把。町租稲廿二束。
--------------------------------------------------------

「意味がわから~ん」という方が多いかと思いますのでざっくり説明しますと、田地の面積とそこから収穫されるコメの量、及びそこに課せられる税を規定した文章で、文章どうりに計算すると、税率は約3%です。

大事な点なので繰り返します。30%ではなく3%です!。
この税率で、国家経済が成り立つものでしょうか。

この史料は、一部の専門家しか知らない特別なものではありません。高校日本史の参考資料集などにも載っている、ある意味ポピュラーなものです。ちなみに、『広辞苑』の「租」の項目には「おおむね収穫の約3%」と、しっかり記載されています。


米の収穫を経済の中核にしようとするならば、江戸時代のように50~60%という過酷な税率でなければ成り立たないでしょう。班田収授法という制度は、経済というよりも、民衆を一定の土地に縛り付けるための方策だったのではないかとすら思われます。


米が現実に経済の中心となったのは、おっしゃる通りとおり秀吉以降でしょう。これによって植え付けられた白米信仰が未だに農業政策などを左右している現状。ま、信仰に凝り固まった人の意識を変えるのは、容易ではないでしょうね(w)。


それにしても、ドクターは、結構コアな歴史マニアだったんですね(^^♪

ご無沙汰しております。

くら寿司の糖質オフお寿司、食べてきました~。
なかなかおいしかったですよ。大根が程よい歯ごたえでマグロとマッチしており、お刺身だけとはまた違う味わい。けっこう気に入りました。さらにくら寿司さんでは「麺なし」ラーメンもメニューに加わったので嬉しい限りです。さっそく豚骨麺なしラーメンも堪能してきました♪

たまに夫がお寿司を食べたがるのですが、これまではお造りを作ってくれる回転寿司店がほとんどなかったので助かります。

歴史と言えば当方、たまにライター業をしておりまして、日本史の記事も書いています。江戸時代から明治初期が専門なのですが、江戸の食生活を思うたびに、お肉のないあの時代では生きられないなあとしみじみです。文化や制度面ではかなり興味深い時代なんですけどね~

話は変わりますが、猫の皿の記事の私のコメントに対し、カルピンチョ先生から温かい返信をいただき、ありがとうございました。愛猫と引きこもった7年間が報われたような気持ちでした。お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。

>このハードルを上げているひとりは消費者だと思っています。
糖質大好きな消費者(笑)。

*医療費を抑えるという意味で、糖質税とか課するようになればいいのにと思ったり(切実)

お役に立って何よりです(Health pressの記事にまでご引用いただき、ありがとうございます。)

>租庸調の制度そのものは暗記したけど、租がたったの3%だったとは。

そうなんです。私自身、租の税率がたった3%だったことを知ったのは大学入学以降でした。高校までの歴史の授業で、租庸調という「言葉」は覚えさせられましたが、具体的な税率の話題は聞いた覚えがありません(ひょっとしたら、話が出ても、その時居眠りしていたかも^^;。不真面目な生徒でしたから)

イメージ的には、どうしてもずっと昔から、米の生産が社会経済の中核であったように思われてしまうんですね(そのイメージを代表する言葉が「瑞穂の国」です。そういえば、瑞穂の国を小学校の名前にしようとした人が最近話題になりましたね(爆))。奈良時代の庶民が苦い生活を強いられていた(山上憶良の「貧窮問答歌」が思い浮かびますね)ことは確かなのですが、それは必ずしも米の生産に対する苛斂誅求によるものではなかった、ということは、しっかり認識する必要があると思います。

租の税率がたった3%であったとしても、当時の庶民が苦しい生活を強いられていたことは間違いありません。その苦しさに耐えかねて、流民化する人々が多かったことが、当時の権力者にとっては大問題になっていました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E6%B5%AA
これは裏返せば、当時の国家財政の中核は、コメの生産以外によって支えられていた、という言い方もできるかと思います。

ちなみに、租は各地の国府に収められる税でした。つまり、国税ではなく地方税ですね。で、国府に収められる米は、種籾として農民に貸し与えられていました。言ってみれば、「租」というのは、翌年以降の田植えに必要な種籾を確保するための保険みたいなものだった、と言えるかもしれません。

室町期には「四公六民」、つまり、40%くらいの税率が一般化していたようですが、江戸時代には天領(幕府直轄地)では50%、大名領では60%もの税率になっている。これは、米の生産を無理やり財政の基幹にしようとした、歪んだ政策がもたらした、実に不自然な状況としか思えません。


>歴史秘話ヒストリアの再放送とかをねぶねぶと視聴しております(笑)。
今後も書きますのでよろしくお願いします。

オオ~ット(笑)
私の偏った知見でできるコメントは限られてはおりますが、できる範囲内で援護射撃は試みさせていただきます。もっとも、しばしば弾丸が斜め上に飛んで行くこともあろうかとは思いますが(^_^;)

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すなわち、個別記事というものは、どういう人々に何を伝えるか、ターゲットを明快にして書くものだと私は考えています。
そういうところでいちいち、しかし、例外はあります、とか言って全ての人に配慮した注釈を付けると、読む側もメッセージがなんなのかわからなくなります。

したがって、読まれた方の立場次第では、その記事では自分の存在を無視されているように感じる、配慮が足りないと感じられる記載内容があり得ます。
その場合、その記事はほかの人に向けられた記事であると、スルーしていただけたらありがたいです。

よろしくお願いします。

ぽっちゃりも糖質も菊芋におまかせ ↑宣伝ヽ(´▽`)/
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