更新できてなくてすみません
更新が進んでいないことへのお詫び。
気軽にホイホイと答えたコメントのdetailに問題があるように言われていて、それをいただいた文献内から探して解釈して応えるという作業が進まずにブログ更新が完全に滞っております。
そもそも問題点がどこにあるとおっしゃりたいのかが、よくわかっていない。
だから、私のコメントに対して何が問題だとおっしゃっているのか、そこからして、いただいた文献の中から探さなければならないのです。
それで、週末にまとめて数時間かけて取り組む時間ができたら、と思っているのですが、その数時間が今のところまったくできなくて、更新進まず。
・・・・・・・・・。
と、放置していてもらちが明かないので、そちらへの回答はとりあえず凍結して進めます。
私の回答を待っていらっしゃる数名の皆さん、すみません。
年末ごろに回答させていただきます。
と、お断りのみの記事のアップでした。
スポンサードリンク 2013年11月20日 14:35 スポンサードリンク
先生の記事やコメントは、資料や論文を(学術的なレベルで)きちんと検証する手続きを経た上で公開されているものと拝察します(私は専門外の人間ですから、恐らくそうだろうなと想像するだけですが、このブログの内容からはそれが強く感じられます)。論文を探して(該当する論文を探し出すだけでも一苦労する、ということも往々にしてあるかと)、その内容をきちんと検証し、考察するのは非常に時間と労力がかかることは、充分に理解できます。
ですから、ご無理のない範囲で続けて下さるようお願いします。おそらくこのブログの読者の多くも、更新がゆっくりでも楽しみに待ち続けているのだろうと思いますよ。なによりも、学問的にきちんとした貴重な情報を、惜しげもなく提供してくださっている姿勢には、本当に敬意を覚えます。
さて、ちょっと話題を変えて。
先日たがしゅう先生のブログの方で「不殺生がどーのこーの」という書き込みを見て、思わず余計な口出しをしてしまったんですが、以前から「仏教などの宗教における戒律や修行法」の中に、糖質制限の理論から見て、理にかなっている要素がいろいろあるのではないか、ということを漠然と考えていたので、そのあたりを少しまとめてみようと思います。
一般に仏教で定められている食事は、精進料理のように動物性蛋白質を排除するものと考えられがちですが、初期の仏教教団では「殺すところを見たもの」「自分に食べさせるために殺したことが知られるもの」以外は、肉でも魚でも、特に禁止事項はなかったようです。これは、食料入手の手段としては、出家者は托鉢のみに限定され、托鉢で受け取るものを選り好みしてはならない、とされていたからです。(歴史上の実在人物の)ブッダは食中毒で亡くなったとされていますが、その原因になった食事は茸料理説と豚肉料理説、二説があって、決着がついていません(中村元先生の『ブッダ最後の旅』に詳しい説明があります)。
ところで、今日では僧侶でも厳格に守っている人は多くないと思われますが、出家者に適応される戒律の中に「不非時食戒」というものがあります。「定められた時間以外に食事をしてはならない」という意味で、日の出から正午までが食事をしても良い時間とされています。托鉢で得たものは、翌日に持ち越してはならないという決まりもあったので、厳格に托鉢だけで食料を得ようとすれば、実質的に食事は午前中1回だけ、ということになります(事実上のスタンダード糖質制限です(^.^))。
となると、正午から翌朝、最低でも18時間は全く食事をしない時間が続くわけです。この間、血糖値の上昇やインスリンの追加分泌は完全に抑えられますから、精神的には安定して穏やかな状態で修行に集中することが期待されたんじゃないか、と想像しています。
ついでに言えば、托鉢の際、ある程度歩き回ることが日課になっていたはずですから、糖質中心のものを食べてもGLUT4が活性化して、血糖値の上昇もインスリンの追加分泌も少量に抑えられていたのではないかとも思います(たしか、運動後もしばらくはGLUT4が活性化していたんでしたっけ)。たがしゅう先生のブログの方でも、糖質が精神に与える影響が話題になっていますが、糖質の精神への影響が、もしかしたら2500年も前から経験知として知られていたんじゃないか、とも思えます。
1日1回か、せいぜい2回の食事(午前中のみ)。その内容もその日たまたま貰ったものばかり、となれば、今日的な常識では不健康極まりない食生活に写りますが、ブッダは80歳(おそらく当時としては驚異的な長寿)の生涯の最後まで、教団の指導者として活動を続けました。文字通り生涯現役です。もしかしたら、それを可能にした要因の一つは、その生活(食事)パターンにあったのではないかとも思えるのです。
仏教などの「食」に関する修行には、この他、断食や木喰行(五穀断ち・十穀断ち)といったものが挙げられます。これらはまたいずれまとめてみようかと思っています(どんどん風呂敷が大きくなるなあ。ほんとに畳めるのか?(-_-;))。
「仏教などの宗教における戒律や修行法」の中の、糖質制限の理論から見て理にかなっているのではないかと思われる要素、その続編です(もはや勝手に連載しております(^^;;)。宗教的な修行の中で、断食は様々な宗教の中で重視されている修行法です。仏教の修行の中にも断食は取り入れられていますし、イスラームでも「ラマダーン」という断食の習慣はよく知られているところです。各宗教の断食に関する情報はこちら→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E9%A3%9F
2年ほど前、親しくお付き合いさせていただいている僧侶の方(大学院の先輩で、某四国霊場寺院御住職)が、「断食護摩」という真言密教系のかなりハードな断食行を修されました。後にその体験を聞いたところによると、行を始めて5日目くらいに「体のスイッチが切り替わったような感覚」を覚えたそうです。これはおそらく、ケトン体の急激な上昇、あるいは糖代謝からケトン代謝に体のコンディションが切り替わった状態が、そのような感覚を呼び起こすのではないかと想像しております。あるいは、絶食時の急激なケトン体上昇により一過性のアシドーシスが起こり、それが絶食を続けることにより自然に補正され「好転反応」と呼ばれる現象が起こるようで、その時の体調が、「体のスイッチが切り替わったような」感覚をもたらしたのかもしれません(たがしゅう先生が絶食時のケトン産性に関して詳細な考察をされています。http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-101.html#more)。
もしかしたら、一気に糖質制限を実行した方の中には、「スイッチが切り替わったような感覚」を体験されている方もあるのではないかと思うのです(皆様、いかがでしょうか)。私自身は徐々に糖質を減らしていたら、いつの間にか体調が変化していたので、そのような「いきなり何かが切り替わった」ような感覚は体験していないのですが、それは断食体験の話から想像すると「ものすごく気持ちのいい」ものではないかと思われるのです。そんな感覚を味わったことのないことが残念です。
断食による体調変化が、その方はよほど快調だった様で、何か機会があると私にも「断食はいいよ~、やってみない?」と、誘ってくださいます(~_~;)。このお誘い、実質的には「あんたも正式に出家・得度して僧侶の修行をしてみない?」というお誘いとセットになっております。私自身は文化・哲学としての仏教に関心はあるのですが「信仰心」はありません。正直そこまでの踏ん切りがつかないので、ご返事は曖昧に誤魔化しておりますが。
その方は、断食行を終えた後も、コンディションの変化は持続しているようで、断食後は普通の食生活に戻られていますが(食事の量は以前よりかなり少なくなっているように見受けられます)一気にスリムになった体型はその後も維持されているようです。
断食行の後、大体8~9割の方はリバウンドするそうですが、逆に言うと、1~2割は「古来からの作法に則って断食を行うと、行法の後も断食によって変化した体質(おそらくはケトン代謝)が維持される」可能性があることを示唆しているのではないでしょうか。ちなみに、その方は断食行に入る前、1ヶ月くらいの準備期間を設けていたように思います(確か食事の量、ことに糖質を減らしていたような)。こうした一種のノウハウは、長年の経験から蓄積された「智慧」なのではないかと想像します。
一般に、宗教的修行法としての断食は、一種の苦行と捉えられているのではないかと思うのですが、もしかしたら、糖質が精神に与える影響が古くから体験知として認識されており、その悪影響を避ける(ついでに体調も好転する)ためのメソッドとして、長年にわたって創り上げられてきたものなのではないか、とも思えるのです。
ここでひとつ思いついたことがあります。ブッダ釈尊は、悟りを開く前に、危うく命を落とすほどの断食・苦行を行いますが、根本的な解決にはならないとして苦行をやめ、その後、菩提樹の下にて瞑想に入り悟りを開いたとされています。一般には断食などの苦行が無意味であると考え、断食行を中断したものとされていますが、もしかしたら悟り(解脱・成道)に至る瞑想に入る直前まで厳しい断食を行なっていたことが、ケトン体の大量産生をもたらし、これが神経細胞(精神状態)に非常に良好に作用していたのではないだろうか(ケトン体の神経・精神に関与する考察はこちら→http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-12.html)。これによって、「精神が澄み切った」ような状態で瞑想に入ったことにより、「解脱・成道」に至ることができたのではないだろうか、とも思うのです(仏教学の研究者からは「馬鹿げた妄想」として一蹴されそうな想像ですが)。
もしかしたら、ブッダが「苦行を否定した」のは、「(断食などの)苦行そのものを目的化」することの否定であって、精神を磨くための手段としては、その有用性を認めていたのではないか、と思えてきました。その後も、断食を含む修行法は仏教の中で連綿と続いていますし、先のコメントで触れた「「不非時食戒」も、一日のうちに、いわばミニ断食と言えるような時間帯を設けて、その時間帯に修行に集中することで、糖質摂取による精神への悪影響を避け、ケトン体産生を増やしてより良い精神状態を作り出すことを意図していたのではないか、とも思われるのです。
一気に体の代謝パターンを切り替える手段として、断食はかなり有効なものではないかと思われます。ただし、このコメントを見て断食に関心を抱いた方があるかも知れませんが、断食には危険性がつきまとうことも知っておくべきでしょう(自己流では試みないようお願いしたいと思います)。先に触れた断食行の場合では、行の経験者を含めて数人の方が修法をサポートします。万一危険な状態が発生した場合、それを助ける必要に備えてのことです。もし一般の方が断食を実行しようとするなら、断食療法の経験が豊富な病院等でおこなわれるのがいいかと思います。
断食中に発生する危険性の一例として、水分に対する欲求が薄れることがあるそうです。そのまま適切な水分を補給せず断食を続けると、4~5日後には「お花畑の中にいる自分が見える」ようになるそうです。ベテランの修行者でも命を落とすケースがあるそうなので、十分ご注意を。
蛇足ですが。私は糖質を減らし始めてから、炊きたての白飯の香りが、以前よりきつい、むせ返るような匂いに感じられるようになったのですが、さきの断食修行をされた方も、匂いがきつく感じられるようになったそうです。体がケトン代謝に適応した一つのサインかもしれません(糖質制限実行者の皆様、いかがでしょうか)。
あ、それと。私が食事の糖質を減らしていることを話しましたら「それはいい『行(ぎょう)』をしていますね」という返答が帰ってきました。どうやら仏道修行の観点からも、糖質制限は「望ましい修行法」とみなすことができるみたいです(^^♪。
(このコメントは、先日たがしゅう先生のブログ記事「絶食療法への興味」に投稿させていただいたものを一部加筆・訂正したものです。「糖質に関わる問題」は、本当に思いがけないほどいろいろ広がりを持ったことを考えさせてくれます)
Toshiさん
あたたかいコメントありがとうございます。
いえいえ、単に私が怠け者なだけです。(^^;)
仏教徒の食事の話、面白いですね。
日本の仏教の修行僧たちの戒律の厳しい生活と、中世のヨーロッパのキリスト教徒たちの戒律の厳しい生活。
その両者の似て非なる部分がこの食事と労働にあると、ある本で読んだことがあります。
日本の仏教の修行僧は食事はすべて托鉢、喜捨で生きていきますし、僧となったからには労働して日々の糧を得ることを禁じられます。(宗派、時代によって解釈が変わっていったのはこれはご存じのとおりですが)
それに対してキリスト教の修道僧では労働、そしてお金を稼ぐことも奨励されます。修行僧であろうとも働いてなんぼじゃ、ということです。
おなじように宗教を極めるための修行僧でありながら、このように食と労働に対する態度が違うのはどうしてだろうかと考えるに、食生活の違いが根本的にあるのではないだろうかとToshiさんの話を読んで思いました。
日本では魚というタンパク源はありますが、肉は少なく、どうしても植物、穀物(特にコメはそのまま食べられるすぐれた穀物です)が食事の中心となってきました。
それに対してヨーロッパでは小麦の効率の良い精製方法が確立する200年ほど前までは、栄養源としては放牧される家畜の肉に重い比率が置かれていた。
そう考えると、日本では食後血糖値の乱高下が修行のための精神統一の妨げとなるけれども、ヨーロッパでは穀物比率が高くなくて肉食が中心なので食後高血糖に悩まされる程度が低い、それが両者のライフスタイルを変えていたのかなと。
日本の修行僧が、それだけでなくインドの修行僧が一日一食のスタンダード糖質制限をする(インドもまた穀物生産には比較的向いていて、極論すれば牛を食べなくても生きていける国ですから)のは、たしかにToshiさんのおっしゃる理屈が成り立つように思います。
大変興味深いです。
Toshiさん
いつもながら深い知識に裏付けされた面白い考察、ありがとうございます。
夏井先生も著書内で延暦寺の千日回峰行について触れられておりますが、「毎日糖質60%食べないと体に悪いのよ信者」たちの理屈から考えると数日で死ぬしかありえないような断食+運動修行を実践される僧の方がいらっしゃって、死なないどころか1000日たっても元気溌剌だったりすることがわかっていますよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E9%9B%84%E5%93%89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA#.E5.8D.83.E6.97.A5.E5.9B.9E.E5.B3.B0.E8.A1.8C
もちろん、千日回峰行までのレベルになると実現できない人や途中で死ぬ人もあったと思いますが、その前の段階の百日回峰であれば大勢がチャレンジして達成されているようです。
身体がそういう状態になった時にケトーシスが発生しており、それが糖質摂取による血糖乱高下から解放された、安定した精神状態を生み出し、瞑想に入っていくための助けになる。
すごく納得します。
断食したいとは思いませんが、やはり、糖質摂取量を石器時代の人間並みに減らすのは重要なことだと思いますね。
今年イギリスで『5:2 ダイエット』というのが流行したそうです。ウィキペディアによれば単なる流行ダイエットだそうですが(http://en.wikipedia.org/wiki/5:2_diet) 。週に2日は500 - 600キロカロリーに押さえて、残りの5日はジャンクフードでも何でも食べていいらしいです。LCHFローカーボ界(?)ではなるべく出来合いのものを避けて、食材から選んで食べることが奨められているので、この何でもアリの部分が批判されていましたが、LCHFと周期的な絶食期間を設けることの組み合わせは、健康にはいいようです。この場合は仏教のお行としての長期絶食ではなくて、一日の食事回数で調節するだけなので、絶食ケトーシスにまで到達するような過酷なものではないみたいでした。
よくいわれる地中海ダイエットは、オリーブオイルなどの食材のみ注目されがちですが、ギリシャやスペインなど地中海の国々では朝食はコーヒーだけで済ませて、昼夜の二食を同じくらいのボリューム食べる習慣があるそうです。一日三食から二食にすると自然に摂取カロリーが減り、食間に脂肪の燃焼が促進されるため減量や糖尿病に効果があるようです。(スウェーデンで最近発表された研究みたいです。)
Diet Doctor
New Study: A Low-Carb Diet and Intermittent Fasting Beneficial for Diabetics!
http://www.dietdoctor.com/new-study-low-carb-diet-intermittent-fasting-beneficial-diabetics#comments
スウェーデン式では一日のうちに絶食と食事する時間(昼+夜)の割合で、16:8と呼ばれているようです。記事のコメント欄を読むと、無理に最初から朝食を抜かずに、「体が慣れてきてお腹が空かないので朝食を飛ばすようになった」くらいの時期から、自然に始めるといいと書いてありました。
ただ、全く朝食抜きでカロリーを摂らないと疲れる人もいるので、そういうひとはBulletproof Coffeeを飲んでいるそうです。コーヒーに無塩バターやココナッツオイルをたっぷり加えて、Bamixのようなハンドミキサーやカプチーノのミルクを泡立てる電動泡立て器でしっかり混ぜると、ラテのようになるそうです。(強者は更に生卵まで加えていました。)
Bulletproof Coffeeのレシピです。
http://www.dailypercolator.com/food_ventures/bulletproofcoffee/
人によっては夕食を抜く方が調子がいいとか、日によって朝食は食べるけれど昼を抜いてちょうどいい場合もあるでしょうし、ローカーブ食の基本は空腹で体が食べ物を欲している時にしっかりした食事をとって、間食やつまみ食いは避けることなので、厳密に16:8に時間的な割合がなっていなくてもいいらしいです。
あちこちのコメントを読んでいると、パレオ食の考えを取り入れて糖質制限+一定期間の乳製品断ちをしている人もいるようですし、海外でもそれぞれ健康状態と相談しながら自分に合う方法を探しているみたいです。スーパー糖質制限が合わない人でも、ひょっとすると根菜やフルーツは食べてもいいパレオ食(穀物、砂糖、乳製品は避ける)なら体がついていけるとか、体質によって効果の違いがあるかもしれませんね。
私自身は糖質制限半年で酵母パンを焼くパン屋の近くを通っても、全く香りを感じなくなりました。パン、ごはん、麺類、ケーキなど全く未練を感じません。たまに甘みが欲しくなることがありましたが、10ヶ月目頃から植物油を一切やめて、バターと自家製のラードを使うようになってからは、一日二食でデザート的な甘みや、omega-6が多いナッツも必要なくなりました。まだ一年ちょっとですが、この冬は人混みでも喉が痛くならないので、植物油のomega-6を減らしてよかったと思います。
話は変わってヨーロッパの肉食ですが、赤身肉以外にも、内臓や豚足、テールなどを沢山食べていたみたいですね。イギリスでは1960年代頃までそういった部位を専門に扱うモツ屋が至る所にあったそうで、ブラッドプディングのように血の一滴まで利用したり、フランスのラルドンのように豚肉を根気よくラードで煮た保存食など、ミネラルや脂肪がたっぷり摂れて安価な料理が一般的だったようです。全粒粉やフスマなどを何種類も混ぜたヨーロッパのパンは、穀物を挽いた残りを無駄にしないためのレシピですが、家畜を一頭屠殺したら、同じように頭からしっぽまで無駄なく利用していたようです。一歩間違えると、スウィーニー・トッドの世界かもしれませんが。
今年も残りわずかとなりました。お忙しいことと思いますが、どうぞお体をお大事になさってください。ブログの更新もご無理なさらずに。その間は、過去ログやみなさんのコメントを読みなおして勉強したり、楽しみにお待ちしています。
Foxhoundさん
非常に示唆に富んだ内容をありがとうございます。
こうすればいい、これが絶対、というものは存在しない、けれども、傾向はある、ということですね。
何かに従ってその通りに守ることは、自分は考えないでいいし、うまくいかなかったら教えてくれた人のせいにしてしまえばいいので楽なんですが、本当に自分の身体を考えたら、どんな人から何を言われても、最後には自分で考えて選択することが一番大事である。
そこに帰結するように私も思います。
もう少し詳しく調べさせていただきます。
ありがとうございます。